随筆つらつらvol.2 3/17 晴れ曇り

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“音大行く意味ない”論争を側から眺めている。

これはただ「人による」し、「科による」に尽きると思う。幼少期より技術の向上に邁進しなくてはならないピアノや弦楽器と、声の生育を待つ必要のある声楽とは全く分けて考えるべきだし、詳しくはないが木管と金管打楽器も少し違うように感じる。一般論で言えば、ずば抜けた音楽の才能と努力の才能を持ち合わせている天才は勿論日本の音大など行かなくても、海外の一流の現場から声がかかり生活には困らないだろう。

 

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そぷ子と作曲

難しい話は途中から破綻しがちなので、論じるつもりはないが、ひとつ思い出したことがある。以前、作曲に挑戦したことがあった。X JAPANのファンになって間もない、世間知らずJD時代である。

作曲理論の本をいくつか読んで、オブリガートって大事なんだな!などと思いながらボカロを使い、10曲以上は作っただろうか。それなりにニコニコ動画()にあげられるレベルの曲はできたのだが、世間で流行る曲たちとは何かが違う。これは和声がどうとか、楽器の使い方がとか、そんなんじゃない。なんだろう?しばらく迷走した。

しかしまがりなりにも音大生である。何度も自分の作品を聞いて最終的に気付いた答えが「作曲の才能ない!」だった。今後いくつ曲を作ってもメディアでキラキラもてはやされるような曲は作れないぞ、と直感が言った。それでも作曲が好きなら続けただろうが、おそらくそこまでハマらなかったのだろう。今でもiPhoneのミュージックに並ぶそれらの曲たち、絶妙に歌いづらくて尊い。

ここでもう一つ思い出した。中1の夏休み明けの宿題で作曲の課題が出た。学校生活に馴染めておらずグループからハブられたりなどしているのに、クラス全員の前で自分の作曲作品を歌わないといけないのである。(今思えば結構スパルタ…)

素晴らしい作品を作ってきた友人もいた。未だにフレーズを思い出せる。ピーマンの歌。そんななか、私は夕陽が海に沈む様子を歌にしてみたのだが、クラス全員の前で立たされた時点で全く歌う気にならない。手も震えて声はひとつも出ない。体感10分近く無言で立っていたが、先生はただひたすら待ち続けていた。

最終的に歌わないと終わらないことに気付いた私は、ズタボロの精神状態で声を絞り出したのだった。その最後のフレーズも忘れられない。夕陽はしーずーむー、である。

音大と全く関係ない思い出話になってしまった。思うに音大に行かなければ必ず後悔しただろうし、音大に行っても後悔した。であればその時に行きたい方向に進んでもいいのでは?

多くのことは音楽を志した時点で観念するべきなのかもしれない。

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