受験シーズンですね。
わたしは大学受験をして音大に入ったわけなのですが、この時期真っ先に思い出すのは中学受験の思い出です。
わたしに塾講師の経験があることを知った昔の職場の上司から、最近お嬢さんの中学受験について相談されました。
中学受験させるかどうか、両親で意見が分かれているとのこと。
塾や学校の先生のご意見は聞ける機会が多いと思いますので、教育者以外の立場から、アラサー・凡頭脳のわたしが中学受験をして良かったと思う点と気を付けてほしい点をお話ししたいと思います。
(受験傾向はかなり変化していますので、一般的な事を。。)
中学受験してよかったと思う点
じゅけんってなに?
自分で学校を選べた
ご家庭の教育方針はそれぞれでしょうが、わたしの場合ある程度学校をえらぶ権利を与えられたのは嬉しかったですね。
制服や校章、立地、男女別学共学・高校・大学受験の有無まで、本当に悩みました。
この時いろんな学校を知れたのは良かったです。大学生や社会人になって様々な出身校の方と会っても、話のタネにできます。
ただ、自分で選んだ学校というのは無意識に、入学後のプレッシャーにもなりました。
あまり中学生活が順風満帆ではなかったのですが、それも「この学校を選んだ自分の責任」と感じていました。
今の自分だったら、「そんなことはない」と声をかけられますが、当時は登校拒否寸前までメンタルやられました。
わたしの場合は母による助け舟でその時期を乗り越えました。ありがたいことです。
一般常識が身に付いた
一般常識というより、軽い教養かもしれません。
子供の頃の記憶ってやっぱり抜けにくいですよね。この頃に日本の地理について知っておけたのは助かりました。
そして暗算も得意になりました。これは今でも仕事でお金を扱う時なんかにかなり役立っています。
尊敬語と謙譲語が理解できるようになりました。(この時点ではまだ流暢には話せない)
↑逆に間違った敬語や接客用語にはアレルギー起こします。
あとは謎に「雨ニモマケズ」「君死にたまふことなかれ」「平家物語 祇園精舎」などの文学作品と日本国憲法前文が暗唱できるようになりました。
↑飲み会で披露すると時々一目置かれます。(変人枠ですね)
応援してくれる人の存在に気づいた
12歳。赤の他人からこんな大きな舞台で試される経験というのは初めてです。
そしてもちろん試験にはたった一人で挑みます。
試験場に着いて一人になると、これまで応援してくれた両親、祖父母、学校や塾や家庭教師の先生、友人などの存在が如何に尊いものか、弱冠12歳にして実感しました。
試験当日を迎えたわたしを、関わってきた全ての人たちが応援してくれている。なんだか不思議な感覚でしたね。
自分の客観的価値を知った
全国的に見た自分の学力が目に見えてわかるので、劣等感を感じることも優越感を感じることもありました。
受験一年前には状況に耐え切れず、部屋をメチャクチャにしてしまったこともありました。今思えばストレス過多です。
わたしが児童だった頃はまだ比較されることにあまり免疫がなく、近くにいる大人のメンタルサポートは必須でした。
気を付けてほしい点
受験生期間のメンタルサポート
ものすごいスパルタ教育により、これまでの人生で常に最優秀だった同級生も見てきましたが。スパルタ教育で人生につまづいてしまった同級生も少なからずいました。
子供の成長はまったくそれぞれ。普段大人びた振る舞いを見せる子でも、心身ともに成長段階です。
中学受験をすることについて、お子様本人の意思確認は絶対に行ってくださいね。
わたしの小学校は私立で中学が附属していましたが、9割の児童が中学受験をするという特異な環境でした。
それにわたし自身も良い子ちゃんで育ってきたために、附属中学より上を目指すのは当然と思い込んでいました。
受験をしないという選択肢はほぼほぼ皆無だったんです。
もしお子様に選択権が与えられる環境なら是非選ばせてあげてほしいと思います。受験生はそれなりのストレスがかかる生活になりますから。。。
そしてお子様が中学受験をすると言ったのなら、それはそれで親御さんからのメンタルサポートが必要になってきます。
厳しい塾に通われるお子様もいらっしゃいます。勉強した努力が報われないことも、現実にはあり得ます。
学習環境を整えることももちろん大切ですが、お子様の心に向き合う時間も作ってあげてくださいね。
受験終了後、中学生活のメンタルサポート
合否に関係なく、受験終了後のメンタルサポートも考えてあげてください。
志望校に不合格だったとしても、その先の人生お先真っ暗ということには絶対になりません。
そして不合格だった自分に価値がないわけでもありません。
受験生として過ごしたストレスフルな時間を乗り越えたことは、絶対に誇っていいことです。他と比べる必要はありません。
そして、志望校に無事合格した場合。これも、メンタルサポートは大切です。
わたしは第一志望の中学に補欠で合格し、無事入学しました。ですが、中学1年生の1年間、暗い思い出がほとんどなんです。
努力してレベルの高い学校に入ったあとは、その中でまた成績がつけられますよね。思うような成績をとれなかったのです。自分の相対的な価値が下がったと感じ、ものすごく落ち込みました。
また、もともと社交的な性格ではなかったので、お友達も思うようにできず。というか、お友達はできたのですが、その後の関係が上手くいかなくて仲間外れになってしまったのです。共学から女子校になったのも一因かもしれません。
さらに自分で選んだ学校だからその状況が恥ずかしくて親にも打ち明けられず。日々、下校中に泣いていた時期がありました。
中学受験はその後大きな環境の変化を伴います。お子様に変わった様子がないか、よく見てあげてください。
まとめ
というわけで、ご家庭で大切なのはメンタル面での支えです。
心の成長期は色々な物事に敏感ですよね。そんな時期に受験を決めたお子様です。
ご両親まで切羽詰まることのないように、時に厳しく、でもあたたかく見守りましょう。
・・・求められていないかもしれませんが最後にわたしの中学受験体験記を載せます。
12歳で書いたものなので稚拙な点はありますが、ほぼ原文です。( ˘ω˘ )
小学校の文集に載るものだったので、第一志望校が補欠だったことと第二志望校で制服のネクタイを忘れたことを、それとなく隠しています。
あと最後の方、書くの力尽きた感が絶妙です。
「中学入試」 6年B組 そぷこ
一月十五日。友達に頑張ってねと言われて、家路についた。明日は初めての中学入試がある。その時は本当に緊張していて、多分、一月十六日の本番よりも緊張していたと思う。落ちたら今まで勉強を教えて下さった先生達に申し訳がたたない。そんな心配ばかりしていた。
その晩、母と一緒に鉛筆をけずり、早めに寝ることにした。目覚まし時計は五時五十五分に鳴るようにセットしておいた。
目覚まし時計の音から始まった、入試当日。制服がとても奇麗になっている。まだ眠っている頭を無理に起こして、おみそしるだけの朝ご飯を食べた。
母に急がされて駅まで足早に行く。混んでいる電車に乗って、こんなに朝早いのに働きに行く人がいるんだなぁ…とか寝ぼけたことを考えながら、テキストをひらいて復習した。集合まで十五分を残して中学校に着いたときにはもう頭はさえきっていた。
試験中は緊張など全く感じなかった。ただ普段通りに鉛筆を動かしていた。
その夜の合格発表は、埼玉まで見に行くのはもうこりて、インターネットで見た。
「…あった!」母と家族に大声でさけんで、もう一度見直す。たしかに私の受験番号はそこにのっている。本当にうれしかった。
二月一日までは過去問の見直しや、計算、漢字の練習をした。
二月一日。第一志望校の受験日だ。
やっぱりこの前のようにはいかないだろうな、と思いながら控え室に母と行った。試験を受ける部屋はそれとは別の場所で、そこに行くまでにもう手足がふるえてきた。お願いだからもうふるえないで!と思ってはいたが、静まらなかった。そのせいか、テストは余り力を発揮できなかった。
控え室で母にそのことを言っていて、悲しくなってくる。ため息をついていながらも私は、次の面接試験のことを考えていた。面接試験は大丈夫と思っていたのに、また手足がふるえてきた。なんとか面接をおえて、二月二日の試験の準備をする。制服についた犬の毛をとり、鉛筆も新しいものを出した。
二月二日は面接がないので気が軽かった。
その試験が終わると、二月一日の第一志望校の結果を見に行った。当然不合格だろうとあきらめていた。だけど合格者と書かれていたそばに、私の受験番号があった。わたしは目を疑った。おどろいたがとてもうれしかった。それは今までで一番と言えるだろう。
その夜の第二志望校の合格発表も合格だった。
この中学受験を私は一生忘れないと思う。