心の瞳という曲を歌っていてちょっと思ったこと。
最初にこの曲を歌った日から今日まで、それなりのものを失ったり得たりした。
もちろん当初から良い曲だなぁ…ほんとに良い曲だなぁ…良い曲だよなぁ…という感想は変わらないのだが。やはり年を経ていくと見方感じ方、変わってくるものである。
特にここ。
長い年月を歩き疲れたら
微笑みなげかけて手をさしのべて
いたわり合えたら
ここ、結構ハードル高いよなと。
なんとなく夫婦という関係性がしっくりくる曲なのかなと思ってはいたが。
長い年月を歩き疲れるまで、隣にその人がいるというのが思ったより難易度高い。生別死別にかかわらず。
そして歩き疲れた時に相手を思いやれる健康状態・精神状態であるというのがまた厳しい。健康は宝。
すなわち歩き疲れた時に相手といたわり合えるというのがとてつもなく奇跡じゃん。ということに気づいた。
情報社会というのは酷なもので、知らなくてもよかったネガティブ情報が日々飛び込んでくる。生きる力をゼロにするほどのつらい経験は意外と身近でもあることに気づく。まあ曲の解釈の幅が広がるならこれも功罪とするべきか。
いや情報社会にかかわらず。我が実家の祖父母も両親も、このいたわり合う境地に達する前に離別している。
祖父母に関しては祖母の認知症もあり難しかったし、両親に関しては想定よりずっと早くに死別した。
坂本九さんの人生に思いを馳せても、年老いていわたり合うという幸せの奇跡に気づかされるのである。
わが身の場合。奇跡に期待できるほど前向き人間ではないので、日常の小さな幸せに気づくことをコツコツ積み重ねたいと思った。
