見知らぬひとに心が傷ついたとき

こころのゆとり
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「あとちょっと詰めてくれればもう一人座れるのに」

「ぶつかってしまい、ちゃんと謝ったのに睨まれた」

「なぜ、この人はそうなんだろう?」

 

多くの人が行き交う通勤途中の駅

あるいは偶然入った飲食店

日常生活でご自分の常識の通じない人と出会うことって多々ありますよね。

だいたい、通勤ラッシュの満員電車に乗るだけでもストレスなのに、

見知らぬ人に不意に心を傷つけられる…

ただでさえ仕事で疲れてるのに、さらにドッと疲れが増してしまいます。

 

もちろん、何もなかったことにして忘れてしまえられれば楽なのですが…

やっぱり、どうにも心に引っかかってしまう日もあります。

そんなとき、心の助けになる言葉をご紹介したいと思います。

 

「心を以て主と為す。

主は則ち神の主、神の主は神明の應化(おうか)なり(編者未詳『神梵語麗気記』)」

 

『神梵語麗気記(しんぼんごれいきき)』とは、

真言系の仏教家によって説かれた神道の書『麗気記』(全18巻)のうちのひとつです。

なんだか難しい言葉ですが、ものすごーく簡単に言ってしまうと…

人の心は、神様から分けて頂いたもの。

人は、神様が世間に順応して姿を現したもの。

という意味。

 

人の心には常に神様が宿っている、ということです。

性善説(人の本性は基本的に善である、という孟子による説)とも深く関わりのある考え方だと思います。

 

すべての人の心の奥底には常に神様が宿っている。

その神様がその人の心を導いてくださらない時は、その人の心に余裕がないとき。

雑念や、疲れ、苛立ちで心がふさがって、心の奥底にある良心が力を発揮できないとき。

 

そして、そういった人を許せないときは…ご自分の心にも余裕がないときです。

 

毎日、おつかれさまです。

少し肩の力を抜いて、リラックスする時間を過ごしてくださいね。

10分でも、5分でもいいんです。ないより、ずっとマシですから。

深呼吸もいいですよ☺

 

皆様の心の中に、いつもゆとりがありますように。

だってそのほうが、幸せですからね。