秋ですね。紅葉が楽しみです🍁
今日は秋に因んだ和歌をご紹介します。つまりは只の趣味ページです。
秋にまつわる和歌は数知れず。
この4つはわたし好みの和歌たちなのですが、こうして並べてみると自分が如何に根暗なのかがよくわかります。
もののあはれの秋の和歌4撰
月見れば
月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど
小倉百人一首第23首 大江千里
月を見ると、なんだかいろんなことが無性に悲しく思えてきます
わたし一人だけにやって来た秋ではないのに
秋といえばたくさんの名歌が残されていますが、とりわけ秋らしく日本らしい歌はと考えたときに最初に思い浮かぶのがこれです。
秋になると急に日が短くなり、日を追うごとにどんどん冷え込んできますし
紅葉があっという間に終わると、葉を落とした木々もすっかり寂しく目に映ります。
人肌恋しい季節だというのに、寒さから体調を崩して命を落としてしまう人も多いですね。
平安時代は人口も少ないですし医術も発達していないですから、こういったことが一層寂しく映ったことでしょう。
簡潔な歌ですけれど、もののあはれをしみじみと感じる日本らしい歌ですよね。
秋さらば
秋さらば 見つつ偲しのへと 妹が植ゑし
屋前やどの石竹なでしこ 咲きにけるかも
万葉集巻三 464 大伴家持
秋が来たらこれを見て私のことを思い出してね、と君が植えた
庭の撫子の花がもう咲いてしまったね
詠まれたのは6月だそうですが「秋」というワードに因んで。
すでに妻を亡くしていた家持が彼女を想って詠んだ歌です。
現代でも充分あり得るシチュエーションなだけに、ぐっとくるものがありますね。
6月にもう咲いてしまったということは、奥様が楽しみにしていた秋にはこの撫子は咲かないのでしょう…そう思うとより一層寂しさが募ります。
なんとも切なく儚い雰囲気の和歌です。
ただひとつ
ただひとつ 風にうかびて わが庭に
秋の蜻蛉とんぼの ながれ来にけり
若山牧水
「ただひとつ」って良いですよね。格好良くて寂しい。
「浮かんで」「ながれ来」るというのは、川に降った紅葉の葉を思うことの方が多いですが、ここでは風に吹かれたトンボです。
紅葉だったらたくさんの葉が連なり、(業平のちはやふるの歌のような)豪華な錦のようなイメージになるのですが、こちらのトンボはたったの1匹でやって来たようです。
さらに「ながれ来る」という言葉には行くあてのない物悲しさを感じます…
寂しい雰囲気を匂わせながらも情景がふんわりと思い浮かぶような、とっても趣のある歌ですよね。
見わたせば
見わたせば 花ももみぢも なかりけり
浦の苫屋とまやの 秋の夕暮
新古今和歌集 巻四 藤原定家
見渡してみても、美しい花も鮮やかな紅葉も見当たらない
この海辺の小屋の秋の夕暮れは
思えば秋の歌というのは紅葉や鹿や月や、なにかそれっぽいものが出てくるものが多いですよね。
定家のこの歌には秋らしいものが登場せず、あえて「何もない」寂しさを表現しています。
月がただひとつ浮かんでいたりトンボがたった1匹で風に流されていたりも寂しいのですが、
花も紅葉も何もない、となるとより一層冬の気配を感じます。
海辺ですから海風も冷たいでしょうし、そんな中波の音だけが虚しく響いているのかと思うと。。
実に侘しく響く和歌です。
まとめ
秋ってなんというか、日本らしい季節ですよね。
そして春夏秋冬のなかではやはり、秋が一番「もののあはれ」を感じる季節だと感じます。
切なかったり儚かったり寂しかったりする情景に、美しさや情緒を見出すというのは世界的に見ても稀な文化ではないでしょうか。
もう冬も近付いてきましたので、残り少ない平成の秋を存分に味わいたいものです。